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はじめに
私たちの脳は、体重のわずか2%程度しか占めないにもかかわらず、全身エネルギー消費の約20%を担う「エネルギー大食い臓器」です。その主要な燃料はブドウ糖(グルコース)です。しかし、現代社会の「フードジャングル」―加工食品や高糖質食品が溢れ、手軽に大量の糖を摂取できる環境―において、過剰な糖の摂取は脳に深刻な影響を与えることが分かってきました。
糖は必要不可欠である一方で、摂りすぎは酸化ストレスや炎症を引き起こし、長期的には認知症や脳血管障害のリスクを高めます。本記事では、糖の生理的な役割と摂りすぎによる影響、さらにそれを回避するための食習慣について解説します。
脳にとって糖は必要不可欠
ブドウ糖は神経細胞の主要な燃料であり、記憶や集中力、意思決定といった高次機能を支える基盤です(Gómez-Pinilla, 2008)。脳のグルコース利用はインスリンに大きく依存しない仕組みを持ち、常に安定的に糖を供給できるように進化してきました。
しかし、糖の摂取が不足すれば低血糖を起こし、注意力低下やけいれんに至ることもあります。そのため「糖は脳に良い」というフレーズはある意味で正しいのですが、それは「適切な範囲で」という条件付きです。
糖の摂りすぎが脳に与える影響
認知機能の低下と認知症リスク
慢性的な高血糖は脳萎縮や白質病変を引き起こし、認知機能低下を加速させます。特に食後高血糖(postprandial hyperglycemia)は、アルツハイマー病患者で白質病変や脳萎縮と関連することが示されています(Ogama et al., 2018)。また、糖尿病を有する高齢者は、健常者と比べて認知症発症リスクが50〜100%高いことも報告されています(Moheet, Mangia and Seaquist, 2015)。
脳のインスリン抵抗性
脳にもインスリン受容体が存在し、代謝やシナプス可塑性、記憶形成に関与しています(Milstein and Ferris, 2021)。ところが、糖の摂りすぎや肥満は脳でのインスリン抵抗性を引き起こし、神経細胞のエネルギー利用効率を低下させます。この「脳のインスリン抵抗性」はアルツハイマー病の発症メカニズムの一部と考えられ、「3型糖尿病」と呼ばれることもあります。
酸化ストレスと血管障害
血糖の急激な上昇と下降は酸化ストレスを増幅させ、脳血管の障害や炎症を促進します。こうした状態が繰り返されると、動脈硬化や脳梗塞のリスクが高まるだけでなく、微小血管障害によって記憶障害や注意力低下が進みます(Jarvis et al., 2023)。
フードジャングルに潜むリスク
現代社会では、清涼飲料水、菓子パン、スナック菓子といった「高GI・高糖質食品」が手軽に手に入ります。こうした食品は血糖値を急上昇させ、短時間で強い満腹感や報酬感を与えますが、その後の急激な血糖低下により眠気や集中力低下を招きます。さらに、過剰なインスリン分泌が繰り返されることで、長期的に耐糖能異常や糖尿病のリスクが高まります。
連続血糖モニタリング(CGM)の研究によれば、健常者であっても高糖質食後には一時的に糖尿病レベルの血糖値に達することがあると報告されています(Jarvis et al., 2023)。つまり「糖尿病でないから安心」というわけではなく、誰にとっても過剰な糖は脳と体に負担を与えているのです。
食事戦略:脳を守るために
糖を完全に排除する必要はありませんが、量と質のコントロールが重要です。
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低GI食品を選ぶ:精製された白米や砂糖ではなく、全粒穀物、豆類、野菜などを選ぶことで、血糖変動を抑制できます(Jarvis et al., 2023)。
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適度な脂質の摂取:オメガ3脂肪酸や中鎖脂肪酸(MCT)は、神経細胞の可塑性やエネルギー利用効率を改善します(Gómez-Pinilla, 2008; Zhu et al., 2022)。
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ケトン体を代替燃料に:ケトジェニックダイエットや修正版アトキンス食は、てんかん治療で有効性が確立しているほか、認知機能維持や糖尿病管理においても研究が進んでいます(Kossoff et al., 2018; Zhu et al., 2022)。
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食事のタイミングに注意:夜間に高糖質食を摂ると血糖変動が大きくなり、翌日の眠気や集中力低下を招きやすいことが報告されています(Jarvis et al., 2023)。
ビジネスパーソンへの示唆
血糖の乱高下は、単に健康リスクだけでなく、集中力・意思決定力・生産性の低下にも直結する可能性があります。会議前に甘い菓子パンや清涼飲料水を摂ると、一時的に頭が冴えたように感じても、その後には眠気や注意力の低下が襲ってくることがあります。血糖を安定させる食習慣は、長期的な脳の健康だけでなく、日々のパフォーマンスを維持するためにも重要です。
まとめ
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ブドウ糖は脳に不可欠な燃料であるが、摂りすぎは脳萎縮や認知機能低下のリスクを高める。
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食後高血糖や血糖変動は、酸化ストレスや血管障害を通じて脳にダメージを与える。
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脳のインスリン抵抗性はアルツハイマー病の一因とされ、糖質過剰摂取がリスクを高める。
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低GI食品、良質な脂質、ケトン体利用、食事タイミングの工夫が予防と改善の鍵となる。
参考文献(Harvard式)
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Gómez-Pinilla, F. (2008) ‘Brain foods: the effects of nutrients on brain function’, Nature Reviews Neuroscience, 9(7), pp. 568–578. Available at: https://www.nature.com/articles/nrn2421
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Kossoff, E.H., Zupec-Kania, B.A., Auvin, S. et al. (2018) ‘Optimal clinical management of children receiving dietary therapies for epilepsy’, Epilepsia Open, 3(2), pp. 175–192. Available at: https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/epi4.12225
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Zhu, H., Bi, D., Zhang, Y. et al. (2022) ‘Ketogenic diet for human diseases: underlying mechanisms and clinical implementations’, Signal Transduction and Targeted Therapy, 7, 144. Available at: https://doi.org/10.1038/s41392-021-00831-w
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Ogama, N., Sakurai, T., Kawashima, S. et al. (2018) ‘Postprandial Hyperglycemia Is Associated With White Matter Hyperintensity and Brain Atrophy in Older Patients With Type 2 Diabetes Mellitus’, Frontiers in Aging Neuroscience, 10, 273. Available at: https://doi.org/10.3389/fnagi.2018.00273
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Moheet, A., Mangia, S. and Seaquist, E.R. (2015) ‘Impact of diabetes on cognitive function and brain structure’, Annals of the New York Academy of Sciences, 1353(1), pp. 60–71. Available at: https://nyaspubs.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/nyas.12807
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Milstein, J.L. and Ferris, H.A. (2021) ‘The brain as an insulin-sensitive metabolic organ’, Molecular Metabolism, 52, 101234. Available at: https://doi.org/10.1016/j.molmet.2021.101234
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Jarvis, P.R.E., Cardin, J.L., Nisevich-Bede, P.M. and McCarter, J.P. (2023) ‘Continuous glucose monitoring in a healthy population: understanding the post-prandial glycemic response in individuals without diabetes mellitus’, Metabolism, 146, 155640. Available at: https://doi.org/10.1016/j.metabol.2023.155640