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はじめに
「血糖値スパイクを抑えると、てんかん発作が減る」──一見すると誇張に聞こえるかもしれません。しかし、国際的な臨床研究や観察研究から、この仮説を支持する科学的エビデンスが蓄積されつつあります。特に薬剤抵抗性てんかん(難治性てんかん)に対して、ケトン食療法(Ketogenic Diet, KD) や 低グリセミック指数治療(Low Glycemic Index Treatment, LGIT) が注目されています。本記事ではそのエビデンスを整理し、血糖値と発作の関係について最新知見を紹介します。
ケトン食の基本と血糖値の安定性
ケトン食療法は1920年代に導入され、糖質を制限することで肝臓からケトン体を産生し、脳の代替エネルギー源として利用させる食事療法です。てんかん発作の抑制効果は歴史的に知られています(Wheless, 2008)。近年では、ケトン体そのものの神経保護作用に加え、「血糖値の安定」が発作抑制のメカニズムに関与する可能性が示唆されています(Pfeifer, Lyczkowski and Thiele, 2008)。
低GI治療(LGIT)の登場
従来のケトン食は脂肪比率が非常に高く、継続が難しいという課題がありました。そこで登場したのが 低グリセミック指数治療(LGIT) です。これは総炭水化物量をある程度許容しつつ、血糖上昇の小さい低GI食品(GI≦50)に限定する方法です。
Pfeifer and Thiele(2005)の報告では、20人の難治性てんかん患者のうち 10人で90%以上の発作減少 が得られ、4人は完全に発作が消失しました。ケトン食に匹敵する効果を持ちながら継続性が高いことが示されています(Pfeifer, Lyczkowski and Thiele, 2008)。
ランダム化比較試験からのエビデンス
JAMA Pediatricsに出版された2020年、インドで行われたランダム化比較試験(Sondhi et al., 2020)は、KD、修正版アトキンス食(MAD)、LGIT を直接比較した初の試験です。170人の小児難治性てんかん患者を対象とした結果、
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KD群:発作中央値 −66%
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MAD群:−45%
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LGIT群:−54%
と、いずれの群も有意に発作を減少させました。さらに、LGIT群で、発作頻度90%以上減少:15%、発作消失:17%程度という結果も出ています。
LGITはKDに比べ非劣性を完全には証明できませんでしたが、副作用が少なく継続性に優れる点で臨床的に有用と評価されています。
血糖値スパイクと脳への影響
血糖値の急上昇(血糖値スパイク)は、てんかんに限らず脳機能全般に悪影響を及ぼします。日本の研究では、2型糖尿病患者における食後高血糖が 白質病変や脳萎縮の進行 と関連することが報告されています(Ogama et al., 2018)。また、脳はインスリン感受性を持つ代謝臓器であり、糖代謝異常は神経興奮性や認知機能低下につながると考えられています(Milstein and Ferris, 2021)。
このことからも、難治性てんかん患者において血糖値スパイクを抑制することは、発作抑制だけでなく長期的な脳保護の観点からも意義があるといえます。
「完治」の可能性は?
では、血糖値スパイクを抑えれば「難治性てんかんが完治する」と言えるのでしょうか。結論から言えば、「完治」ではなく「大幅な改善」 が現状の科学的理解に即しています。
確かに、LGITやケトン食で発作が完全に消失する患者も存在します(Pfeifer and Thiele, 2005)。しかし大多数の患者では「発作頻度が半減〜大幅に減少」するにとどまり、再発する例や長期継続が困難な例もあります(Sondhi et al., 2020)。
まとめ
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ケトン食やLGITは血糖値スパイクを抑え、難治性てんかん患者において高い発作抑制効果を示す。
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RCTを含む研究で、40〜60%の患者で発作が半減、一部の患者では発作消失が報告されている。
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「完治」と断言するのは科学的に誇張だが、生活の質を大きく改善できる治療選択肢である。
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血糖値スパイクの抑制は、てんかんに限らず認知症や脳萎縮予防の観点からも重要。
つまり、「血糖値を安定させれば発作は減る」という表現は科学的に妥当であり、難治性てんかんの治療戦略における食事療法の価値を正しく示しています。
参考文献
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Milstein, J.L. and Ferris, H.A. (2021) ‘The brain as an insulin-sensitive metabolic organ’, Molecular Metabolism, 52, p. 101234. doi:10.1016/j.molmet.2021.101234.
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Ogama, N., Sakurai, T., Kawashima, S., Tanikawa, T., Tokuda, H., Satake, S., et al. (2018) ‘Postprandial hyperglycemia is associated with white matter hyperintensity and brain atrophy in older patients with type 2 diabetes mellitus’, Frontiers in Aging Neuroscience, 10, p. 273. doi:10.3389/fnagi.2018.00273.
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Pfeifer, H.H. and Thiele, E.A. (2005) ‘Low-glycemic-index treatment: a liberalized ketogenic diet for treatment of intractable epilepsy’, Neurology, 65(11), pp. 1810–1812. doi:10.1212/01.wnl.0000187071.24292.9e.
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Pfeifer, H.H., Lyczkowski, D.A. and Thiele, E.A. (2008) ‘Low glycemic index treatment: Implementation and new insights into efficacy’, Epilepsia, 49 Suppl 8, pp. 42–45. doi:10.1111/j.1528-1167.2008.01831.x.
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Sondhi, V., Agarwala, A., Pandey, R.M., Chakrabarty, B., Jauhari, P., Lodha, R., et al. (2020) ‘Efficacy of ketogenic diet, modified Atkins diet, and low glycemic index therapy among children with drug-resistant epilepsy: a randomized clinical trial’, JAMA Pediatrics, 174(10), pp. 944–951. doi:10.1001/jamapediatrics.2020.2239.
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Wheless, J.W. (2008) ‘History of the ketogenic diet’, Epilepsia, 49 Suppl 8, pp. 3–5. doi:10.1111/j.1528-1167.2008.01821.x.